私が簡単な自己紹介を終えると彼はこう言った。
「その顔の傷はチェーンソーか?」
私がそうだとうなずくと彼はこう続けた。
「きみの様なものに山仕事をする資格はない。」
私がチェーンソーで自分の顔面を切ったときは誰もが優しい言葉をかけてくれた。
それは落ち込む自分を見てのことだということはわかっていた。
私は怪我をしたことを心の底から恥じていた。だからその怪我について自ら口にすることはほとんどなかった。
ふつうの人は私の傷を見てもそれがチェーンソーによるものだとは気づかない。
林業に従事する者ならわかるかもしれないが誰も私の傷について触れようとはしなかった。
だから私の怪我について話題になることはほとんどなかった。もちろんそれについて叱責するような者などいなかった。
それは私が北海道で林業をしたいという思いだけをもって、たいしたあてもなく北海道にやってきた3年前の夏のことだった。
札幌での林業関係のシンポジウムの場で偶然再会した森林ジャーナリストに誘われるがまま富良野に行き、お洒落なレストランに顔を出すとそこに彼はいた。
その初対面で彼は私に厳しい言葉を投げつけた。
その言葉にわたしは不思議とあたたかい物を感じ取っていた。
なぜだか理由はわからない。
自分の中に抱え込んでいたその怪我に対する羞恥心をさらけ出せたようで少し気が楽になったのかもしれない。
あるいは彼のその言葉の奥にある真剣さを無意識に感じ取っていたのかもしれない。
わたしはこの怪我に対しての恥じる思いと林業に対する思いを拙い言葉で伝えた。
その後はみなで豪快に酒を飲み、林業の話はほとんどしなかったように記憶している。
上富良野のキャンプ場でテントも張らずに芝生の上で眠りにつこうとする彼はこっそりと私にこう言った。
「きみに厳しいことを言ったのはああやって自分自身を戒めるためなんだ。嫌な気分にさせてしまったのなら申し訳ない。でも、それくらい厳しい思いをもって臨まなければ務まらない世界なんだよ。」
この人にもう一度会いたい。
この人の森を見てみたい。
ずっとそう思い続けていた。
しかし、その思いを実現させることなく彼は61歳の短い人生を終えたという知らせを聞いた。
彼との出会いの後に私は図らずとも彼の弟子と出会うことになった。
その彼との出会いやその彼に影響を受けた者たちとの出会いが今の自分に色濃く反映していることに今あらためて気づく。
あの時、あそこでたまたま出会ったのは偶然なんかじゃない。
岐阜在住のわたしと長野在住の彼はあのとき北海道で会うことになっていたんだ。
彼の死の知らせを聞いていまさらそんなことを確信した。
そして、彼の山を見に行かずにいた自分を悔やんだ。
彼との出会いから3年が経ち私の顔の傷もだいぶ目立たなくなり、ふとすると怪我のことを忘れてしまいそうになることもある。
そんな自分を戒めなければならない。
出会いのチャンスはそうあるものではない。再会のチャンスならなおさらだ。
荒山さん。安らかにお眠りください。
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