2011/12/01

植村直己について



北極点グリーンランド単独行 (1978年)
植村 直己
B000J8LNVI

植村直己に好感をもてるのは鉄のような強い意志を持ちつつも「自分の弱さをさらけだせる」ところ。

冒険家や登山家の本などを読んでいてときおり残念に思うことがある。


・自然への謙虚さを説きつつも人間に対しての謙虚さが感じられない

・・・行間に山を登らない人間を見下しているようなところが見えたりすると残念に思う。

・文章が拙い

・・・せっかくの人柄(?)なのに伝わらない、むしろかえって誤解を招く。
こればっかりはしかたがないことかもしれないけど、インタビュー形式などにしたりと工夫はできるはず。(でも、こういう人たちは良くも悪くも偏屈な人が多いからね。。)


いずれも直接会えば素晴らしい人なのだろうけど本を通してしか会えない人はどうしようもない。
(もう亡くなっている人も多いし)

そうしたなかで植村直己の本はとても好きだ。本を通して植村直己のことをどんどん好きになれる。

文章力は決して高等とは言えないけれど、自分のことばで語っているし、伝えたいことは山ほどあるはずなのに潔く削っているから余計に伝わってくることがある。

自分の弱さをさらけ出せるというのは非常に勇気のいることだと思う。
どんな人だって弱いところはあると思う。それを受け入れながらより強くなろうとする姿勢に自分は価値を置いている。

せっかくなのでその一部を転載しておく。


PP.206-208

いったんふさぎこんだ私の心は、いっこうに晴れようとしない。「俺はいま、なぜここに犬橇をはしらせているのか」「いったいどこに行こうとしているのか」「何のためにこんなことをやっているのか」―旅にたいする疑問の自問自答がまた頭の中に戻ってくる。(略)
 思えば、私は兵庫県の山奥の百姓から、何も知らずに都会へ出てきて、雑踏にまぎれこみ、途方にくれた田舎者であった。田舎者だからこそ、都会で一人前の人間として認めてもらいたいという気持ちは人一倍強かった。しかし、人並みのことができない私は、何をやっても、人より遅れをとった。いつの日にか、せめて人並みになりたい、人並みに見られたいという劣等感をバネにした願望が心の底に知らず知らず育っていった。
 大学の山岳部に入部したとき、私は山になどまったく登ったことのない”山オンチ”だった。富士山にすら登ったことがないのを笑われ、屈辱的な思いをした。山岳部の合宿は、いつも自分の無知に恥じ入ることの連続だった。こうした無知無能をさらけ出したくないばかりに、私は部の仲間にかくれて、こっそり山へ入る味を覚えた。それが単独行のはじまりだ。
 大学を卒業するときも、まともに就職する自信はなかった。会社に入って人と張り合う勇気がなかった。何の職業を選んでも、うまくいかないだろうと頑なに思いこんでいた。就職する自信のない劣った自分を埋め合わせしてくれるもの、それは山登りしかなかった。勝敗のない山登りに打ち込むことが私にとってはたった一つの救いだった。日本の山から、しだいに外国の山にあこがれていったのも、わたしにとって当然のなりゆきだった。富士山より高い山に登れば、ふつうの社会人としてのコースを歩みだした友人たちと同程度の満足感があるかもしれない。そんな考えにつき動かされて、外国への放浪の旅が始まった。そのようにして私は、世間の人が「冒険」と呼ぶ行為しかできない人間になった。
 私は登山や冒険旅行にすがって生きてきたのだ。それができないとしたら、私という存在は無になる。屈辱の中に、私という存在が埋没してしまう。その恐怖から身をかわし、自分が味わえるただひとつの充実感を味わうために、私は夢を大きくひろげつづけてきた。ひとつのプランを実現すると、さらに大きな、困難なプランを立てた。
 いつも前進があるだけだった。失敗したら逃げ道がないと思った。旅の中止は、私が自分なりに積み上げてきた実績を、一挙にフイにすることだ。そうしたら、自分はもう何をしたらよいかわからなくなる。最初の屈辱の中に戻るだけだ。
 人間の社会の五里霧中をさまようより、この大自然のガスの中のほうが、私にとってはずっと身に合っているのだ。いやいや、この濃密なガスの中でなら、私にも生きのびる道はあるのだ。




自分の生きる道を己の力で見出し、その道に生きる覚悟を決め、そこに何が起きようとその全てを受け入れて前に進む。自分の弱さも、運の悪さも受け入れて、鉄の意志で前に進み続ける。
植村直己はその偉業以上に偉大な人だ。



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